[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
前回のブログで・・・
そもそも、この世で繰り広げられるような人生劇というものは、善悪すら超越した宇宙創造神(通称、監督)が時代を超えたアクション映画を撮っているようなもので、善役や悪役ですら自分達が気付かないままキャスティングされているもんです。どんな権力者であってもあたえられた環境が配役であって、大きな視点では監督の手の平からは逃れられないのでしょう。そして、配役ひとりひとりが使命を与えられ、試されているわけです。ですから早く台本(神示!?)を腹に入れて、ストーリーをつかんだほうが名優とされるのかもしれません。まあ、かなりイタズラとアドリブ好きな監督ではありますが・・・
と記したところ、意味がよくわからないのでもっと詳しくとのコメントを一部頂きました。では、今回の東北地震を例に挙げてみましょう。3.11という数字が9.11と足して12.22(といえば、2012年12月22日)であるのは、3.11が神戸の震災と全く同時刻の2時46分であるのは、他のブログで多く紹介されているのでいまからの説明は不要だと思います。まあ、ここまでは人為的に操作できる範囲だと思います。
でも、こんなのもあります。
西日本ではおおよそ京都を中心に、各神社などを結んで逆さの五芒星の結界が結べるのですが、この北部に位置する比叡山や琵琶湖の先端大津あたりと、南部に位置する玉置神社や熊野本宮のラインを結ぶと、そのライン上には本当に多くの日本の重要は史跡、神社、仏閣が並びます。このラインを仮に『中央ライン』とでも呼ぶことにします。
この中央ラインを更に北に伸ばすと「玉置町の熊野神社」などがあり、このラインから日本海側に向かってすぐ右手には「三方五湖(みかたごこ)」があります。
ここには「管湖」という湖がありますが。これはそのまま「管総理」に通じます。
そして、中央ラインを挟んですぐ左手には小浜町があります。小浜町はそのまま「オバマ大統領」に通じます。
では、今度は続いてこの中央ラインを南に伸ばしていくと今度は「熊野の玉置神社」があります。
そして、すぐ右手に、御浜町(みはま町)・・・これもオバマと呼べなくはないですよね。
で、その御浜町(オバマ町)に通っているのが実は「国道311号線。」
なんと今回の3.11の鍵となる人物や数字が、狭い範囲のライン中に、ごろごろ隠れているのです。流石にこれは人為的には仕組めないでしょう。こういう事を、私は善悪すら超越した神??(通称、監督)のイタズラと呼んでいる訳です。
ですから、監督の撮っている映画に出演している全ての存在は、この地球に縁があり、過去世から連綿と続く因縁によって、細かく配役されている訳です。私の過去のブログ「自分の中に神をみる!?②」の運命の記事を読んで頂くと少しは理解していただけるかもしれません。
配役が、ただのエキストラなのかもしれませんし、重要な役を演じている可能性もあります。監督はりアルな演技を求めているので敢えて配役すら教えてくれません。強いていえば、自分のことは自分が一番知っているのかもしれません・・・
『この世の悪も善も皆御用と申してあろが。身魂相当の御用致してゐるのざぞ』日月神示 第九09巻 キの巻 第十七帖
『身魂のしょうらい段々判りて来るぞ』日月神示 第19巻 マツリの巻 第十七帖
では、今回の映画の台本はなんなのでしょうか?それが日月神示であることは以下を見れば一目瞭然です。
『世界の片端浜辺からいよいよが始まると知らしてあること近うなりたぞ』日月神示 第八巻 磐戸の巻 第十三帖
『神示見て居らぬとびっくりが出てくるぞ。この世始まってないことが出てくるのぢゃ、世界の片端浜辺からぞ。判りたか。』日月神示 五十黙示録補巻 月光の巻 第五十四帖
『食ひて生くべきもので人殺すとは何事ぞ。━中略━お水に泣くことあるぞ』日月神示 第三巻 富士の巻 第十三帖
『病も判らん病がはげしくなるぞ。食ふべきものでない悪食うて生きねばならん時来るぞ。悪を消化する胃袋、早うせねば間に合はん。』日月神示 第二十四巻 黄金の巻 第五十四帖
『悪を食ふて暮さなならん時近づいたぞ、悪に食われんように、悪を噛んで、よく消化し、浄化して下されよ、悪は善の仮面をかぶってゐること多いぞ、』日月神示 五十黙示録第七巻 五葉之巻 第十三帖
『神の国が本の国ざから、神の国からあらためるのざから、一番つらいことになるのざぞ、覚悟はよいか』日月神示 第四巻 天つ巻 第十六帖
上記をみれば、いかに日月神示通りに物事が進んでいるかおわかりだと思います。
日月神示に『この世の悪も善も皆御用』とあります。そうなると、日月神示は今生きる全ての人、それは善の御用、悪の御用の配役の人々はもちろんのこと、別次元からサポートしている存在も含めて(これは声を出して読むことによって伝わる)本当に全ての人(存在)が、目を通し、理解する必要があります。
何故なら高次元の世界では、すでに悪は善に抱き参らされて共に「嬉し嬉しのミロク世」に進んでいることが決定しているからです。それ自体がストーリーの台本であるならば、配役がいくらそれを嫌がっても、映画は監督の意向の通りに進むのです。
(ここに来て、ヒカルランドからも「完訳」が出版されましたし、「ひふみ神示データー」という無料で読めるサイトもあります。検索をしてみてください。)
これからは、生みの苦しみはあるものの、その後はミロクの世に突入します。悪役ですら、改心することによってミロクの世に暮らせることになるのです。ただし、いつまでも悪に固執している限りはそれは不可能になります。同じ悪のなかでも、最後まで固執し続けて破壊をくりかえし、滅びてしまう存在と、改心してともにミロクの世に移行していく存在にこれからは分かれることになります。
そこの見極めが最重要となります。
ではたとえば悪の御用に抜擢されたからといって、人を殺しまくってもよいのでしょうか?日月神示では以下の通りです。
『いくさも歩みぞ。弥栄ぞ。ぢゃと申して今のような外道のいくさでないぞ。人殺し、生命殺すようないくさは外道。やればやる程はげしくなるぞ。今の人民いくさと申せば、人の殺し合ひと早合点するが、それは外道のいくさ。』日月神示 第二十七巻 春の巻 第四十三帖
『人の殺し合ひで此の世の建替出来ると思ふてゐるのも悪の守護神ざ。肉体いくら滅ぼしても、よき世にならんぞ。』日月神示 第14巻 風の巻 第十三帖
『いくら外国人殺しても、日本人殺しても、よき世は来ないぞ。今迄のやり方、スクリかへて神の申す様にするよりほかに道ないのざ。』日月神示 第14巻 風の巻 第十三帖
人をいくら殺しても、そんなことでは人間(魂)はいつになっても改心しないと記されています。経済を破壊することはストーリーの上でもしょうがないかもしれませんが、人を殺しても意味がまるでないのですね。そんなことをしなくても、身魂に借銭が残っている人はミロクの世には進めないとありますので、そんなことをわざわざしても本当に何の意味もないのでしょう。
『江戸と申すのは東京ばかりではないぞ、今の様な都会みなエドであるぞ、江戸は何うしても火の海ぞ。それより他 やり方ないと神々様申して居られるぞよ。』日月神示 第三巻 富士の巻 第二十七帖
『イシヤの仕組にかかりて、まだ目さめん臣民ばかり。日本精神と申して仏教の精神や基督教の精神ばかりぞ。今度は神があるか、ないかを、ハッキリと神力みせてイシヤも改心さすのぞ。━中略━江戸が元のすすき原になる日近づいたぞ。てん四様を都に移さなならん時来たぞ。江戸には人住めん様な時が一度は来るのぞ。』日月神示 第二巻 下つ巻 第十六帖
もちろん、こうなっている限り、それが人災かそれがなくても天災などで主要な経済圏が崩れていくことはしょうがないように思えます。それが次の世界に移行するための生みの苦しみとなるためです。しかし、「大難を小難」にと神々さまにお願いする姿こそが誠の神国の臣民の姿なのでしょう。
では、舞台の途中、配役が不慮の事故などで死んでしまった場合はどうなるのでしょうか?もちろんそれがシナリオかもしれないですし、重要な役回りですと、次から次へと代役が控えています。
『代へ身魂いくらでもつくりあるぞ』日月神示 第22巻 青葉の巻 第二帖
『世界中の事ざから、いくらでも代へ身魂、代りの集団(まどひ)つくりてあるのざぞ』日月神示 第22巻 青葉の巻 第十三帖
『魂は鉄砲では殺せんのざぞ。魂はほかの肉体にうつりて、目的たてるのざぞ』日月神示 第14巻 風の巻 第十三帖
俳優がもし亡くなったとしても、代役が次々に登場し、映画の撮影自体はエンディングを迎えるまで絶対終わらないわけですね。それどころか、次の配役が誰かわからなくなり、右往左往している間に時間は流れていってしまうことでしょう。
これは、もはや今となっては命が欲しくて言っているわけでは、ありません。私自体が『争う』ということが本当に嫌いなだけなのです。降りかかる火の粉は反射的に払ってしまいますが、本来『善悪の戦い』といった二極の世界にいることが、私のテーマとは考えられませんし、そんな事に巻き込まれて、使命も果たせぬまま無駄死にするわけにも行きません。
「東郷(統合)町の和合」これが私が母親の胎内や幼少期に育った田舎の名前です。
この世の中には全ての物事に『時節』というものがあります。なので、まだ時間は必要なのかもしれません。しかし、ストーリー自体は必ず進行していって、本来のエンディングを向かえます。それは、時が経てば経つほど、映画に登場している以上、だれも逆らうことなく急速に進行していきます。
さあ、あたなは現在の地球劇のなかで、どんな配役を与えられ、どんなテーマで暮らしていますか?そろそろ、それを真剣に考える時に入ったのかもしれませんね!