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(日本航空123便 墜落事件①からの続きです。)
今からお伝えするのは、後に「JAL123便 米軍幻の救出劇」と呼ばれるものです。
PM18:56のJAL123便の墜落直後、米軍C-130輸送機が横田基地に帰投中に墜落現場付近を飛行していました。
同機のマイケル・アントヌッチ航法士は、横田基地からJAL123便の探索命令を受けたので、一帯を捜索した結果、PM19:19頃にJAL123便の墜落現場を確認しています。
「あたりはちょうど夕暮れだったが、地面はまだ見える明るさだった。山の斜面は大規模な森林火災となり、黒煙が上がり、空を覆っていた。」
同機は墜落現場の上空を旋回飛行し、急いで位置を測定、横田基地に知らせています。
続いてPM20:30、現場から60キロ離れた米陸軍座間基地から米軍ヘリUH-1を現場に無線誘導しています。
飛来した米軍ヘリは、PM21:05、乗員2人を生存者救出の為、現場から15mの付近までロープで降下させました。
その時です。当初の指令とはうって変わって横田基地からいきなり「直ちに基地に帰還せよ」という命令が入ったのです。
もちろん、意味の理解できない米軍ヘリは「救助続行を希望」。
これに対して横田基地の司令官は「日本側の救助隊が向かっている。繰り返す直ちに基地に帰還せよ」と命じたのです。
基地からのいきなりの帰還命令に当初困惑したクルー達でしたが、PM9:20最初の日本の救難機が到着、現場を旋回しているのを確認後、安心して米軍ヘリとC-130輸送機は各基地に帰還しました。
しかし、翌日のニュースをみてマイケル・アントヌッチ氏らC-130輸送機のクルー達は愕然とします。なんと一晩たったにも関わらず墜落現場での救助活動は愚か、墜落現場も特定できていないと報じているのです。
さらに不可解だったのは昨日横田基地で待っていたのは、第316戦術航空団のジョエル・シルズ大佐の言動。
シルズ大佐はC-130輸送機のクルー達が現場から戻ると、「ご苦労。しかし、このことは一切マスコミには話してはいけない」といい、その上、丁寧なことにクルー達を現場から引き離すように、翌日からの沖縄出張という異例の処置を命じました。
マイケル・アントヌッチ氏は、一連の事件を後に以下のように振り返っています。
「何故、事件のことについて話してはいけなかったのか?
あの飛行機事故のことは、10年経った今も脳裏に焼き付いて離れない。
JAL123便が管制塔【緊急】を告げたときたまたま近くを飛んでいた。現場はすぐに確認できた。墜落の2時間後には、米軍の救助ヘリが現場に着いた。
あの時、ストップがかからなければ、もっとたくさんの人が助かっていたに違いない。
日本の救援隊が現場に着いたのはその14時間も経ってからというではないか。」
『週刊文春』1995年9月28日号より。
JAL123便の航空機事故が疑惑に包まれているのは、前述の理由だけでも十分ですが、他にもおかしな点がゴロゴロしています。次に物的証拠の不可解な点を示します。
運輸省航空事故調査委員会はJAL123便の墜落事故原因を以下のように報告しました。
1978年6月2日に伊丹空港で同機がしりもち事故を起こしていた。
その後のボーイング社による修理が不適切であったため、飛行の度に客室へ与圧を繰り返す内に圧力隔壁に金属疲労が蓄積した。
金属疲労により機体後部の圧力隔壁の破壊による機内与圧空気の急激な噴流により、垂直尾翼を噴き飛ばし、JAL123便は操縦不能となり、御巣鷹山に墜落したものである。
(ボーイング社は当初、この修理ミスを否認。しかしある時期を境に一転して修理ミスを自ら主張することになります。)
上記の「圧力隔壁」とは上空での航空機内部の気圧を一定に保っておくための尾部に設置される鉄の壁のことです。
例えばポテトチップスなどの袋を持って富士山などを登ると、袋内外の気圧の差によって、袋はパンパンに膨らみます。
このとき【内→外】に向かって力が働いています。
「圧力隔壁」はこの内からの力に対抗するための壁で、先程のポテトチップの袋の役割を果たすものです。
実は「圧力隔壁」が金属疲労によって内圧に耐え切れず空中破壊した航空機事故は前例がありました。
1979年9月カナダ航空のDC9型機の事故です。↓↓↓↓
http://jp.youtube.com/watch?v=zO8y3KwrMRM
動画でもわかるように、カナダ航空の事故では、内圧に耐え切れず「圧力隔壁」に大人2人分の穴が開きました。
この時、「急減圧」と呼ばれる急激な内圧の解放【内→外】の力が一気にかかり、給仕するワゴンはあっという間に機外へ吸い出されるように吹き飛びました。
スチュワーデスも吹き飛ばされそうになりました。乗客も阿鼻叫喚の大パニックです。
しかし、同機は奇跡的に無事に帰還し、死傷者は一人もでませんでした。ちなみに、このカナダ航空の事件では垂直尾翼には何の問題もありませんでした。
今回のJAL123便の事故では圧力隔壁の破壊に伴い、巨大な垂直尾翼までもがその影響で吹き飛んだと発表されています。
垂直尾翼が吹き飛ぶには、圧力隔壁に大きな穴が開き、急激な内圧の解放【内→外】の力が一気にかからないと起こりません。
それならば、今回の123便がカナダ航空の事故より圧倒的な急減圧が起こっている筈です。
もちろん圧倒的な急減圧が起これば機内の荷物や乗員は一瞬にして外に吸い出されるように吹き飛び大パニックになる筈です。
しかし、そのようなパニックは先ほどの生存者である吉田さんの証言やコクピットボイスレコーダーからはまるで確認できません。
急減圧はなかった事をボイスレコーダーから分析しています↓↓↓↓
では、一体どうやってJAL123便の高さ9メートル、3階建てのビルにも相当するも垂直尾翼の3分の2もの鉄の塊が吹き飛んだのでしょうか?
吹き飛んだ垂直尾翼は、当時相模湾・伊豆沖で試運航中で艦対空追尾型巡航ミサイル演習訓練をしていた自衛隊の護衛艦「まつゆき」によって、翌日の1985年8月13日午後、偶然発見、回収したと発表しました。
・・・・・ミサイル訓練!? 垂直尾翼を偶然発見、回収!?
段々話が怪しくなっていきます。いよいよJAL123便の秘められた裏側に迫っていきます。
日本航空123便 墜落事件③に続く・・・・
↓↓↓↓上記の日航123便墜落事故のブログ記事や写真は以下を参考に記しています。
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