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今回からのテーマは ペルシャ と インド にまつわるイザコザです。
①の今回は“プリンス・オブ・ペルシャの尊♪”
↓↓↓まずは雰囲気を味わうために映画“プリンス・オブ・ペルシャ”!!
ところであなたは“プリンス・オブ・ペルシャ”は誰?と聞かれてなんと答えますか?
ちなみに、ここでの答えは、映画の主人公「ダスタン」でもなければ、「キュロス2世」でも「ダレイオス1世」でもありません。
元祖(でもないか)!?プリンス・オブ・ペルシャは、なんと我等が「須佐之男命 スサノオ」です!!Σ⊂(゚Д゚ )って なんでやねん!
そんなこんなで解説していきます(-ω- ゞ⌒☆ちょいムズイかも・・
最近公開された映画「プリンス・オブ・ペルシャ 時間の砂」を見てもらえばわかるように、中近東の現イスラム教諸国、ペルシャのイメージは月の紋章です。
いたるところで月のレリーフやオブジェを目にします。
『宇宙戦争 ソリトンの鍵』(光悠白峰著、2006年、明窓出版刊)に以下のようにあります。
トルコのように月を描いている国旗もありますが、月はイスラム教のシンボルなのですね。
そして西欧には星が多く、東洋は太陽が多いのです。今の地球では月と星が戦っているのです。太陽を国旗にしている国は、戦争にはあまり参加しません。
世界中の国旗を簡単に分けると、次の三つが基調となります。日本のように太陽を象徴にした国。アメリカのように星を象徴にした国。イスラム諸国のように月を象徴にした国です。
星を国旗にしている国は世界中で争いが多い国です。パキスタンも月があるけど星もあるでしょう。彼らは核兵器を持っていますね。
形態学でいうと相似象のものは衝突するのです。同じもの同士は反発しあいます。世界中で戦争を起こしているのはアメリカですが、星がいっぱいあるので戦争が大好きなのです。
『星の国、星の臣民、今は偉い気張りようで、世界構うようにに申しているが、星ではダメだぞ、カミの御力でないと何も出来はせんぞ』日月神示 天つ巻 第二帖
国旗は本当にその国の特徴を現しています。宗教家の浅見宗平氏によると、国旗の色により、その国が国旗制定時において、世界に散らばる五色人のうち、何色の人種が集まって出来た国か大体解るようです。トリコロール色だと、青白赤人種の国というようにです。
世界中の五色人が、世界の親国であるこの日本から誕生したのは「竹内文書」的には、今より数千万年前(数億年前!?)上古二代 造化気万男身光神天皇の御世とされています。
↓↓↓竹内文書について、おさらいです!
そして日本の国旗「日の丸」の誕生も、この時なんだそうです。ちなみに当時の本当の日の丸には、白地赤丸の中に黄金の点あり、ちゃんと黄(気)がはいっていた模様です。
ここで「日の丸」と諸外国の国旗との関係を、『超図解 竹内文書Ⅱ』(高坂和導著、1995年、徳間書店刊)より以下に抜粋します。
世界各国の国旗を見ていくと、月や星をモチーフとして使用している国旗の多いことに驚かされる。中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国、ベトナム、パキスタンと数え上げたらきりがない。
比べて、太陽のモチーフを使った国旗と言うのは少ない。世界的に太陽を信仰の対象としている国が多いにもかかわらず、国旗に太陽は使われないのである。(比較的最近に独立した国は除く)
~中略~
超古代世界の基準は、中心である日本に置かれていた。そのため、天の中心的存在である太陽が日本の真上に来たときが、地球の時間の基準となった。
日本の真上に太陽が来る時間帯を基準とすると、他の国々は太陽のすがたを見ることが出来ない時間帯が基準ということになる。つまり夜が基準ということになのである。
~中略~
日本が天上の太陽を国旗に描いたのも、万国の民王が国旗に月と星を描いたのも、それが自分達の世界の象徴だったからである。
要は日本が「日の丸」=「昼の国」であるなら、諸外国は古事記などで登場する「黄泉の国」=「夜見の国」であるともいえるわけです。
ではここで「夜見の国」中近東諸国のペルシャおよび、インドなどの周辺国の地理や歴史をおさらいしましょう。
重複しますが、日本から世界中に散らばる五色人が此の世に誕生したのは「竹内文書」的には、今より数千万年(前数億年!?)前、上古二代 造化気万男身光神天皇の御世とされています。この時、16人の御子を選んで世界16方位に国王として派遣しました。
昔でいうメソポタミヤ、現在でいう中近東ペルシャ付近、に派遣されたのはヨイロパアダムイブヒ赤人女祖という王女であり、その王女の息子達の名前などが現在の地名の由来となっているようです。
女祖「メソ」→「メソ(女祖)ポ(神)タミ(民)ヤ(野・土地)」
長男「アフガカブ」→「アフガニスタン」の始祖
三男「ペルシャケルマン」→「ペルシャ」の始祖
ちなみにメソポタミヤは薔薇の原産地でしかも薔薇は7千万年前からあったようです。女祖は遥か太古の時代から、花を好み、世界巡航遊ばされる皇族方のお立ち寄りの時には、いつも花束を贈られ、その旅情を慰められたのが、花束の始まりで、その習慣が今日まで伝わっているとのことだそうです。
↓↓↓まさに“Desart Rose”!!! BGMです!
一方、現在のインド北部に派遣されたのは インダウ天竺万山黒人民王で、後の仏教 釈迦族の始祖となります。 インド南部に派遣されたのは インドチュウラニヤ黒人民王 となっています。
五色人が世界中に広がった後、様々な天変地異やノアの大洪水などで著しく人口は激減しました。
大洪水を生き残ったノアの息子 白人のヤフェトはそのままペルシャ北方のコーカサス地方にとどまり、後のコーカソイド(白人)の祖となります。
コーカソイドのうち、最大勢力を誇ったアーリア人は、紀元前2000年~紀元前1500年頃にかけて、民族移動を開始。西北に移動したものがヨーロッパ人となり、東のイラン高原の辺りに定住したのがペルシャ人です。(インド=ヨーロッパ語族の進入)
一方、人口増加により、さらに東に移動したアーリア人は、インド亜大陸進入。先住民族の黒人などを征服し、カーストで有名な四つの階級「ヴァルナ(色)」を作り上げました。
後のアメリカ大陸や現イスラエルと同じく、白人種が黒人種などをしいたげながらも同化していく図式がここでも見受けられます(旧約聖書のハムの呪い)。このインド・アーリア人が、今日のインド人のほとんどを占める民族となります。
その後、中近東は、エジプト、メソポタミアの新バビロニア、イランのメディア、トルコのリディアの四国対立時代を迎えます。これら四国を滅ぼして古代オリエントを統一したのが、アケメネス朝ペルシアです。
以後、200年間、アケメネス朝ペルシアはギリシアより攻め上ったアレキサンダー大王によって前330年に滅ぼされるまで、西は現トルコおよびエジプト、東は現パキスタンに至るまでの大帝国を維持することとります。
首都は、イランの古くからの古都であるスサをはじめ、エクバタナ、バビロン、ペルセポリスと4カ所あり、季節などにより使い分けていた 模様です。とにかく広大な領土です。
スサという都市名が出てきましたが『日月地神示 黄金人類と日本の天命』(白峰聖鵬著、2005年、明窓出版刊)より抜粋します。
ペルシャにはスメル族が渡っていきましたが、このスメル族はシュメールともいわれます。スメルはスメラ(天皇)の訛伝だと考えられております。
古代ペルシャの首都は「スサ」と呼ばれてきました。このスメル族のスサの王が、日本では須佐之男尊となっているのです。
須佐之男尊はスサの王様ということになります。須佐之男尊の別名を月読尊といいますが、日本の古文献にはこの月読尊がペルシャに渡ったという記録が残されています。
月読尊とペルシャ・・・ここでも月がやはり絡んできますね!
では、何故 須佐之男尊=月読尊 は日本を離れてペルシャに渡ったのでしょうか?
「スサノオ」といえば、古事記では「三貴神」として「アマテラス」と「ツクヨミ」とともに父「イザナギ」からうまれますが、竹内文書では以下のように記されています。
「伊邪那岐天皇 即位六十五億万年ムツヒ月立一日、天疎日向津姫尊 産生。後 亦名 天照皇太神と云う。弟 月向津彦月弓命 出生、亦名 須佐之男命」
要は「須佐之男命」=「月弓命(ツクヨミノミコト)」。 やはり竹内文書的には「スサノオの命」の幼名が「ツクヨミの命」で同一人物と言うわけです。
「天照皇太神」と「須佐之男命」は同じ日に生まれた双子の姉弟として、それぞれ太陽と月を象徴とした名前を貰います。
双子であっても男子がいる場合は優先して皇位を継承するのが当時の慣わしではありましたが、今回は姉の方に皇位を継承させるようにご神勅がくだります。
勿論「須佐之男命」としては面白くありません。当時の様子は以下のように竹内文書に記されております。
「弟 速進男命(はやすさのおのみこと)荒し、姉 天疎日向津姫天皇イカラシて天に昇り、日球国の磐屋に隠れ、万国政りトコヤミとなり、群臣天日父磐屋前に集まりて迄天開く折祭、弟 進男命の所業悪くみて伊邪那岐天皇ひ迄祈、天皇いからしてツメになせて支那国へ流さしむ」
姉の政治の邪魔!?をして国外追放をくらったとされるスサノオは檀国(現・朝鮮)から母方イザナミの祖国(アフスタン国 現・アフガニスタン)へ向かいました。まさに古事記での「黄泉の国」=「夜見の国」に向かったわけです。
そして須佐之男命はやがて日本に帰って櫛稲田姫と結婚する前に、現地のアフタン国王女(最初の妻)と結婚し、後の檀君国(現・朝鮮)王、カレスト(現・ブカレスト)国王、アフトキスタン(現・アフガニスタン)王となる三人の子供を設けました。
これが、ペルシャの首都、スサでの物語りとなります。
しかし、本当に須佐之男命は、姉のアマテラスに乱暴狼藉をした結果の国外追放なんでしょうかね!?
宗教家の浅見宗平氏によると、天照皇太神が磐戸に隠れたのは、なにも須佐之男命のせいではないそうです。本当は人間が慢心し、神祀りをしなくなったので、太陽の大日輪の光を届かなくする術事をおこない、神の偉大さ有難さを人間に解らせる為に、敢えて磐戸に隠れたとの事です。
さらに須佐之男命は決して乱暴狼藉な神ではなく、外国などが乱れて争いなどが起きると、進んで平和の為に治安を治めにいく勇気ある神様であるとのことです。
また平和になりますと、農作や漁業水産物を教え、家造りや仕事、医術 薬造りを教えた情け深い神様であるということです。
この点は、古事記とも内容が異なる点です。上記の竹内文書の一文でも「須佐之男命」→「速進男命」と表記が異なる点もきになります!!
ちなみに「日月神示」では「同じ名のある神二つ」というフレーズが数多く出てきます。
結局、真相は「日月神示」が指し示す方なのではないでしょうか!?
「次の岩戸閉めは素盞鳴命にすべての罪を着せて根の国に追いやったときであるぞ、素盞鳴命は天ヶ下を治しめす御役の神であるぞ。
天ヶ下は重きものの積もりて固まりたものであるから罪と見えるのであって、よろずの天の神々が積もる積みをよく理解せずして罪神と誤ってしまったので、これが正しく岩戸閉めであったぞ、
命を荒ぶる神なりと申して伝えているなれど、荒ぶる神とは粗暴な神ではないぞ、暴れ廻り、壊し廻る神ではないぞ、現生る神であるぞ、天ヶ下、大国土を守り育て給う神であるぞ、取り違いしていて申し訳あるまいがな。このこと良く理解出来ねば、今度の大峠は越せんぞ。
絶対の御力を発揮し給う、ナギ・ナミ両神が、天ヶ下を治らす御役目を命じられてお生みなされた尊き御神であるぞ。素盞鳴の命にも二通りあるぞ、一神で生み給える御神と、夫婦呼吸を合わせて生み給える御神と二通りあるぞ、間違えてはならんことぞ。」日月神示 碧玉之巻 第十帖
この誤解は重要なところですね!
・・・にしても、映画でも古代史でも「プリンス・オブ・ペルシャ」って誤解される立場にあるんですねぇ/(_-_)
失われた時間を取り戻す“時が来た!” ・・・・のかもしれません (人-ω-)
今回はここまでです!!
さて、「ペルシャ、インドの貸し見入る!?」と題して、今回の記事を描いてきましたが、殆どペルシャの記事だけで終わってしまいました。
実はまだ全然本題に入ってません・・・(汗)
次回は「マハー・バーラタ」や「ラーマ・ヤーナ」、「核問題」を絡めて 続く!!
↓↓↓今回の参考図書はコチラ
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私Ikusaは少し前のブログに以下のように記しました。
「古事記」において「ウガヤフキアエズ朝廷」の記述がごっそりカットされている理由はなんなのでしょうか?そこには支配体制側が隠さねばならない事実があったからです。
このウガヤフキアエズ朝廷の歴史に、スメラミコトの弱体化=世界に対する天皇の権威の弱体化、レプティリアン(アヌンナキ)勢力の拡大の真実が隠されていると思われます。
この隠された「ウガヤフキアエズ朝廷」の詳しい歴史がのこっているのはやはり「竹内文書」です。
↓↓↓竹内文書とは!?
竹内文書では宇宙創成から神武天皇以降までの歴史を天皇の統治年代ごとに分けて系図も詳しく記され、大まかに4つの時代に区分されています。
第1期 天神7代 宇宙創成から地球の誕生、地球への神々の降臨
第2期 上古25代 地球におりた天皇が高度な科学技術をもって統治
第3期 ウガヤフキアエズ朝廷73代 天皇による統治が揺らぎ始めて、地球に天変地異と混乱が続いた。
第4期 神倭朝廷 神武天皇以降の記録
↓↓↓竹内文書のわかりやすいアニメーション
今回のお話のテーマとなるのは「第3期 ウガヤフキアエズ朝廷73代」の記録となります。
この第3期は、世界中の聖人とうたわれた人々が日本に留学をしてきた時期とも重なります。モーゼ、釈迦、孔子、孟子、老子、イエス、マホメットといったいずれも歴史の転換期に活躍した聖人たちです。
世界の聖人と言われるような人は、まるで申し合わせたかのように、その生涯の中に空白期間を持っています。その空白期間は、どの聖人の場合でも、本格的な活動を始める直前の修行期間であったことだけは理解できるのですが、どこで何をしていたのかは全くの謎です。
しかしこの謎を一気に氷解するのが「竹内文書」です。
宇宙から飛来してきた神人神星人スメラミコトの本拠地である日本は、当時の最先端の宇宙テクノロジーを学べる国として、世界中から留学生が訪れて来ていました。
そのなかでも特に気に入られていた、モーゼやイエス・キリストといった聖人は、そこで学んだ教えを故郷の人々に広く伝えた後は、また日本に戻って暮らすように約束されていました。
ですので、現在の石川県羽咋町にちゃんとモーゼの墓が残っていますし、青森県三戸郡新郷村の戸来が丘にはイエス・キリストの墓が数々の伝承とともに残っているわけです。
当時、留学生たちが学んだのは、天皇の教えだけではなく、彼らがその後、奇跡を起こす奥義の数々でした。
病気治癒、空中浮遊、物質化現象といった数々の奥義を当時の最高学識者である武雄心親王から教わり、それらを応用してモーゼは海を割ることができたし、キリストは、尽きることのないパンを人々に分け与えたわけです。
しかしこの聖人たちの日本留学が盛んに行われた時代は、スメラミコトが非常に微妙な立場に立たされていた時代でもありました。大洪水などのたび重なる天変地異で、日本の国力は衰え、天皇の権威も今までのように絶対的なものではなくなってきていたのです。
そして日本に留学しにきていた者の中には、生涯をスメラミコトに忠誠を誓ったものだけではなく、そのテクノロジーだけを利用し、まるで自らが世界の王であるかのかのように振る舞う者たちもいました。
その代表的な者たちが、中国の伝説時代の皇帝と言われている「伏羲」と「神農」とかだと思われます。
竹内文書には次のように書かれています。
「天皇即位百一年イヤヨ月円五日・・・・万国の五色人王四十四名集まる。アヂチ唐、支那伏羲氏神農氏来たり、ミツギ物棒タテマツリ礼拝す。・・・・居ること三十六年目、アジチイタナ国天津に帰る。」
「神農」は古代中国の伝説に登場する皇帝です。後述する伏羲・中華民族の祖とされる黄帝とともに三皇と呼ばれることがあります。姿は身の丈八尺七寸(約2m64cm)と伝えられ、足の爪が鋭く、髯(ヒゲ)を長く伸ばし、木の葉で作った衣や腰ミノをつけて、頭に角が生えた状態で描かれることが多いようです。(ただしこちらは後述する伏羲と違い、中国の伝承でも聖人扱い、牛頭といわれるように角も牛みたいなことからレプティリアンとはあまり関係ないように思われる。どちらかというと日本の伝承にのこるスサノオを代表する出雲族に近いような・・・・・)
「伏羲」は中国史上の最初の国王とされ、5000年の歴史を持っているとされています。伏羲の妻は女禍と呼ばれ、この2人は共に頭が人間で体が蛇という姿で描かれていることが多いです。大洪水で2人だけ生き残り人類の祖となった伝承ですが、足が蛇で絡まっており,なにやらDNAを連想させるものがあります。
しかし、ここで注目すべきは、伏羲の持っているのが「矩(く)」とう直角定規,女禍が持っている「規(き)」というコンパスです。
ん?定規にコンパス・・・・!?
もうおわかりですね!メーソンのシンボルマークです。
さらに頭が人間!体が蛇・・・・!?
この人間ばなれした容姿はまさしく爬虫類人レプティリアンではないですか!
ちなみに人間にシェイプシフト後の伏羲の肖像画も爪が鋭く、容姿もまがまがしく描かれています。
今後に続く中国の歴代の皇帝、皇后にみられる“酒池肉林”といった乱痴気騒ぎや、民衆に対する残虐な行為の数々はレプティリアン(もしくはそのDNA)がなせる業だったのかもしれませんね。
更に、中国の皇帝となったレプティリアン達は、更なる天皇の権威の喪失を画策すべく、仏教を利用します。
釈迦も元は、日本の天皇に学んだ事のある留学生でしたが、帰国後、日本の神々の「力の現れ」としての位置づけで、仏教をアジアに広めました。
しかし、皇帝たちは釈迦の没後、仏教を全く違う異教の神を崇拝するもののように堕落させ、日本の天皇の権威失落のために利用します。その結果、仏教は仏魔となって日本に渡り、神道の世界を脅かします。
また「古事記」が不都合な記述をカットしたりして、真実の歴史を改ざんしているのは、その編纂に携わった太安万侶の正体が渡来系帰化人であったからです。
太安万侶は歴史の改ざんにより、更なる天皇の弱体化を本国から仰せつかっていたわけです。(8年後に太安万侶は当時の天皇の姿に心改め、慌てて「日本書紀」に真実を込めて、暗号で隠しながら編纂しなおした、しかしその後暗殺されたそうです。)
ちなみに竹内文書には、太安万侶と稗田阿礼の系図も残っており、それによるとかれらは元々スサノオの尊(月向津彦月弓命)が朝鮮に追放されて檀君と呼ばれていた頃に、現地の女王との間にうまれた子供の子孫に当たります。
記紀編纂時には時の権力者からの歴史改ざん命令と、真実を残したいという気持ちの辛い板ばさみであったことでしょう。
それにしても、時の権力者達が真の歴史を隠蔽し自分達の都合よく改ざんする姿勢は、当時から見られるわけです。
では、現在の真の歴史の隠蔽&改ざんは何処が担当しているのでしょうか・・・・
現在 人類の歴史を封印&操作を担当しているのが、英国王立国際問題研究所、通称『チャタム・ハウス』の歴史資料管理室てとこだそうです。
現在では、世界を牛耳る「闇の権力」の中枢とも噂される英国王室などが、竹内文書などの真の日本の歴史が広まることを恐れているのでしょうね。
さて、現在英国王室が仲良くしているの王族は、どういった人々でしょうか?
次回は「王仁三郎と原爆と天皇の正体」です!
↓↓↓レプティリアンはこちら
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日本の国史「古事記」には先のブログに紹介したように、かなり削除されている記述があることお知らせしました。しかし、その「古事記」でも、もっと追求すれば、今まで以上に色んな事が見えてきます。例えば、様々なストーリーの中に、歴史的解釈だけではなく、霊的解釈や言霊的解釈(呪詛的解釈)もできます。
そこで今回は「古事記」や「秀真伝(ホツマツタヱ)」といった「古史古伝」に見られる、「DNA的解釈」ともいえる記述をご紹介したいと思います。
古事記の冒頭部分に登場する、二人の夫婦神、「イザナギのミコト(男)」と「イザナミのミコト(女)」は、交わる事で多くの「国産み」「神産み」を行いました。
実はこの有名な「国産み」「神産み」のシーンの元ネタは、古事記より約600年も古い、西暦126年に編纂された古史古伝の「秀真伝(ホツマツタヱ)~すばらしいマコトの伝え」に詳しく記されています。
ちなみに、この「ホツマツタヱ」には漢字が伝来される以前のホツマ文字という神代文字が用いられており、国学者の平田篤胤が懸命に捜索したが、ついに発見できなかった幻の書とされていました。昭和41年に松本善之助が、宇和島市の小笠原家で完本を発見したといいます。
「秀真伝(ホツマツタヱ)」によると、多くの「国産み」「神産み」を行った両夫婦神は、ただ契りを交わすのではなく、その前に「あめのみ柱」の周りを回って「ことば」を呼びかけあうという奇妙な行動をします。
はじめ「あめのみ柱」を「イザナミのミコト(女)」が先に左に回り、「イザナギのミコト(男)」が後で右に回り、出会ったところでそれぞれが「ことば」を掛け合い、契りを交わすのですが、生まれたのは、出来損ないの蛭子(ヒルコ)と淡島(アワシマ)。ふにゃふにゃの失敗作です。
今度は、お互いの「あめのみ柱」の回る順番と方向、ことばの掛け方を逆にした所、多くの神々と国々が無事に誕生したのです。
この記述は、実は現在解明された生物の「DNAの二重らせん構造」のモデルに適用する事ができます。正しい回転方向でないと、そのDNAモデルは成立せず、やはりふにゃふにゃの失敗作となるのです。(図はクリックで拡大! 以下、図は「新説 ホツマツタヱ」(宮地正典著、1995年、徳間書店刊)より抜粋)
続いて、「秀真伝(ホツマツタヱ)」には、この行動の後に夫婦神が歌った「あわの歌」が記されています。
イザナギのミコト(男)
~ あかはなま いきひにみうく ふぬむえけ へねめおこぼの
イザナミのミコト(女)
~ もとろそよ をてれせゑつる すゆんちり しゐたらさやわ
この歌は「あかさたな はまやらわ・・・」の48文字を並び替えた上で、半分ずつに分け、男の「あ」に続く言葉から始まり、女の言葉の語尾「わ」から戻ります。「あ(天)」「わ(地)」「や(人)」という形でつなげると、そこにも「ことば」に対応するDNAの形が見えてきます。(図はクリックで拡大!)
また「あ」と「わ」を「のりしろ」として考えると、実際形をなすのは合計46文字。これは我々人間の染色体(長いDNAが折りたたまれて束となっている格納状態)の数と同じになります。
上記のことからも「ことば」は「光透波」ともいえ「はじめにことば(光透波)ありき」ともいわれるように、生物のDNAを形成するために不可欠な「波動」と捉えることが出来そうです。
それにしても、DNAの構造をワトソンとクリックが解明してノーベル賞を受賞したのが1953年のことですから、現在はそれから55年程度しか経過していない事になります。
ようやく解明されてきた分子生物学の最先端の知識が、西暦126年に編纂された「ホツマツタヱ」の一部をやっと理解したのです。
言い換えると、「ホツマツタヱ」の内容の方が現在の分子生物学より遥かに進んでいるという事になります。
上記の事は、同じく「ホツマツタヱ」にしるされた「太占(ふとまに)」の真相についてもいえます。「太占(ふとまに)」の図48種が「ことば」となんと「元素の周期表」に対応する事がやっと解明されました。(図はクリックで拡大!)
ここにも超古代に我々の想像を遥かに凌駕する進んだ文明があった証拠が記されているわけです。
しかし、まだまだ闇の世界権力が牛耳っている考古学会のアカデミズムからは、このような真実は抹消され、それを唱える人は嘲笑の的になるかスキャンダルをしくまれるか暗殺されるかといオチになります。
このことは、「波動による水の結晶実験」然り、「宇宙論、宇宙人論」然り「進化論」然り、「政治、経済、食料問題」然りです。
もうこんな騙されがちな人生は今回の転生でキッパリとお互い終了しましょう!
さあ、まずはココ日本から、覚醒への“目覚まし”が鳴る頃ですよ!
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